九月二十七日の台湾紙「自由時報」に、建ち並ぶ日本式の墓石の写真が掲載された。それは南部の台南市安平にある日本時代の軍夫の墓である。 記事にはこうある。「日本統治時代の台湾における最初の軍夫では、安平出身者も主力の一つだった。しかし当時のことを知る者は少なく、ただ安平の十二基の墓碑だけが歴史を留めている」と。 自由時報に掲載された台湾人軍夫の墓の写真 台湾人の軍夫は支那事変勃発から二ヶ月後の昭和十二年九月、上海へ向かう台湾軍の輜重兵が少なく、それを補うために徴用され始めたものだ。 軍夫とは軍隊での雑役人夫のこと。「軍人、軍犬、軍馬、軍属」と言われた軍隊秩序の中で、軍夫は軍属以下の存在(軍属として扱われるのは昭和十八年になってから)。だが台湾人にとって軍夫と言う軍の一員として出征することは画期的なことだった。 なぜなら当時台湾人は日本国民でありながら、その国家への忠誠心はなお当局から疑われており、徴兵の対象から外されていた。朝鮮人の陸軍特別志願兵制度が同十三年に施行されたのに対し、台湾人のそれは十七年になってから。だから軍夫になれると言うことは、当時では台湾人の地位向
日本のために散華した台湾人軍夫の墓に思う/忘れてはならない台湾人英霊、そして日台防衛体制の強化
10月 20th, 2009 · No Comments
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