私が幼少の頃、父の従兄姉の万沢美智子さんに ピアノを習っていた。万沢さんの母親が父の伯母になる。 父親は酒井勝軍。ネットで見ると結構でてくる。 明治の初めにアメリカ、ロシアに渡り帰国。お茶の水の ニコライ堂近くで音楽学校を開き、賛美歌などを教えて いた。高村光太郎の姉も通ってきていた。 明治37年日露戦争勃発で、ロシア語ができ、ロシアの 事情にも通じていたことと、「名前が“勝軍”とは縁起が いい」と、乃木稀介に見出され、従軍。 「ステッセルのピアノ」を賜った。 ただし、これについては、五木寛之の「ステッセルの ピアノ」によると、ロシア艦隊の各船にピアノが備え 付けられてあり、戦後分捕り品として数台のピアノが 日本に持ち込まれた。そのうちの1台が「行くへ不明」 となっている。たぶん、酒井勝軍の音楽学校に払い下げ られ、一人娘の万沢美智子さん宅にあった物が、五木氏 の調査では「不明」となっている物と思われる。 酒井勝軍は、その後エジプトやシリア、中近東の古代 遺跡の調査を行い、その結果、「日本人とユダヤ人は
ラジオ体操のピアノ伴奏
10月 7th, 2008
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